2014年03月30日

5年後くらいに

 5年後には、今の自分を昂然と見下ろし、胸を張って言えるようになりたい。

 「おまえはまだ経営も人生も、何もわかっちゃいない。」

 私ごとながら今年50歳になるんだけど、少なくとも10年前の自分になら、上記の台詞を言えると思う。
 ほんと、40歳の頃の私は何もわかっちゃいなかった。

 じゃあまた今度は10年後にはそう言えるのかな、って思うけど、残念ながら若くないのでそんなには待てない。
 次は、5年でそうなりたい。

 そうなってるって事は、こんなに毎日悩んでいても、まだまだ解決の余地があるってわけだ。
 私の今の悩みなどは、5年後の私から見たら、とるに足りないものになっているわけだ。

 で、5年後の私が、今の自分にこう言ってあげられるようになりたい。

 「今はちょっと大変だけど、ここからの5年はめちゃめちゃ充実してるぞ。だからまあここを踏ん張れよ。」  


Posted by たまじゅん at 08:17Comments(0)

2014年03月01日

金銭欲?

「私は金銭欲が薄いんです。
でも困らない程度にはなりたい。」
って言う方が多いけど、そりゃ誰だってそうだよね。

でも困らない程度、てのが難しいところで、アフリカやアジアの貧民層と比べたら、私がお会いする人達は、例外なく「困らない程度」のお金は既に持っている。

屋根のある場所で眠れて、明日食べるものに困らなくて、暴力に怯えなくていいなら、あとは何も望まないっていう層が、世界の人口の過半を占めている。

私たちが望んでいるものは、まさに程度の差に過ぎない。

だからって豊かな国に生まれた恩恵にあずかって、満足して適当に働いて、チンタラ遊べばいいかと言えば、私はそうは思えない。

仕事する能力がある者が働けば、雇用と納税が生まれて消費や福祉や環境に寄与する。

そんなに金がいらないなら、余ったお金はどうぞ寄付すればいい。

かと言って、別にあまり働く気がない方を否定するつもりはない。

ただ要するに、私たちの金銭欲の多寡などは、好みの問題に過ぎないという事だ。

「金銭欲がない」という言葉に、少々のエゴイズムを感じるので、「でも困らない程度のお金は欲しい」というのとセットではあまり使わない方が宜しいかと思うだけ。

誰にも絶対に絶〜っ対に知られない保証付きで、数億円の収賄を受けられるとしよう。
それを断固拒否すると言えるような者だったら金銭欲が薄いと言えるだろう。
あるいはうっかり宝クジにあたったら、慌てて、もう躊躇なく、全額寄付できるような者。

でも、元気な若者〜壮年が働かないと、超高齢化を迎えるこの国は経済が回らなくなる。

ひいては福祉が削られ、弱者が救済されない。
最悪の場合、反日の近隣国に蹂躙されるシミュレーションだって考えられる。

毎日大変だろうけど、頑張ろう。  


Posted by たまじゅん at 08:14Comments(0)