2012年08月16日
強い政治の土壌
基本的に人にはそれぞれ役割があると思っており、俺は商売人として経済活動をして、納税して雇用を創出するのが本分だと思っている。
政治に関して言えば、社会保障をめちゃくちゃにした旧社保庁と厚生省の罪は大きいと思うし、馬鹿高い法人税率をどうにかしてほしいし、直間比率を是正した上で生活必需品には消費税かけるな!とも言いたいが、そんな枝葉末節の政策は政治家がやればいい。それが彼らの仕事なんだし、出来なきゃ給料泥棒だ。
政策に無関心なことを言うと、商売人だって政治に参加すべきだと批判されることもある。
しかしそういう人は、愚痴を言う事が政治参加だと思っているのではないだろうか。
我々が日々の商売を頑張りながらもやらなきゃならない事は、個別の政策じゃなく、もっと本質のフレームを改善していく為に、民度を上げることだと思う。
誤解を恐れずに大雑把に分けると、日本にはタックスペイヤー(税金を払う人)と、タックスイーター(税金を食らう人)がいる。
タックスイーターの代表は、官僚だ。本質的には、地方公務員などは含まない。
ここでいうタックスイーターとは、自分たちの権益を守る仕組みを自分たちで作れる者たちの事だ。
ところで、本来はペイヤーである我々が、自分たちの為の「法」と「仕組み」を作り、我々が暮らしやすくなっていかなきゃおかしい。
だから立法に携わる者(国会議員)を、選挙で選べるようになっている訳だが、実際には官僚という名のイーターが、自分たちの身分と権益を維持していく事をのみ追求して、法や仕組みが作られていく。
私の知る限り、現在の日本のほぼ全ての仕組みはイーター(官僚)の視点で作られており、一見すると我々の為にあるかに見える仕組みは、極論すれば暴動が起きない為にほどほどに与えた飴に過ぎない。
要するに我々は、もらった飴をしゃぶりながら、我々から搾取する者達をせっせと養っている訳だ。
飴を与えた上で、批判の矛先を政治に向けてやれば、それで彼らの身分は揺るがない。
明治維新で身分制度が廃止されたはずが、戦前には軍務官僚として、戦後は現在の官僚組織として、予算と権限とをもって実質的な「身分」と化している。
先の事業仕分けで廃止や削減された天下り法人などは、官僚が老後のために用意してあった巨大なヘソクリ貯金箱だ。
老後の楽しみにしていた、そのヘソクリ貯金箱を、“庶民ごとき”の代表である政府与党ごときが解体したり削減したりする事など、官僚サマは許さない。
マスコミがはしゃいでいる間、TVカメラの前では一旦は引いたかのように見せはするが、翌年にはラベルを貼り替えただけで中身は同じヘソクリが入った貯金箱を用意する。
この場合、庶民には飴すらも与えない。
はしゃいでいたマスコミを統制して、あるいは誘導して、蓮舫をバカにしたり(彼女がバカか利口か知らないが)、民主党の無能さをアピールしてばかりいれば、我々は官僚の吹く笛にあわせて踊るように、そちらに関心をむけるようになるだけだ。
まずは我々こそが変わらなきゃならないと思う。為政者にはしっかり政治をさせることが出来る国民にならなきゃならない。
要するに国会議員には国政をさせなきゃいけない。
彼らは、選挙区に道路や橋を造らせる為に、地域が中央に送り出しているメッセンジャーではないのだ。
地元の権力者(?)に気遣ったり、地域の利益の為に小さな仕事をしているような時には、むしろ叱ってあげないといけない。
「お前は国政をしろ!」と。
だから、国会議員を町内の寄合いに呼ぶことで、自分のメンツを保とうとするような年寄りになっちゃいけない。
選挙前に挨拶に来たら、くだらない事をしなくていいと言ってあげてほしい。
強い官僚に負けない本物の政治家は、高い民度の国民だからこそ選べると思う。
自分の地域や、まして自分自身に利益を誘導することを喜ぶようでは、官僚を批判して戦う政治家を選ぶことができない。
これから庶民の生活は、ますます負担が増していく。
タックスペイヤーの数は減っていくのに、官僚の厚遇は老後も含めて変わらないから、その維持の為に広く浅く金を集めなきゃならないからだ。
本物の政治家が生まれるための土壌は、我々自身が変わるしかなんじゃないだろうか。
政治に関して言えば、社会保障をめちゃくちゃにした旧社保庁と厚生省の罪は大きいと思うし、馬鹿高い法人税率をどうにかしてほしいし、直間比率を是正した上で生活必需品には消費税かけるな!とも言いたいが、そんな枝葉末節の政策は政治家がやればいい。それが彼らの仕事なんだし、出来なきゃ給料泥棒だ。
政策に無関心なことを言うと、商売人だって政治に参加すべきだと批判されることもある。
しかしそういう人は、愚痴を言う事が政治参加だと思っているのではないだろうか。
我々が日々の商売を頑張りながらもやらなきゃならない事は、個別の政策じゃなく、もっと本質のフレームを改善していく為に、民度を上げることだと思う。
誤解を恐れずに大雑把に分けると、日本にはタックスペイヤー(税金を払う人)と、タックスイーター(税金を食らう人)がいる。
タックスイーターの代表は、官僚だ。本質的には、地方公務員などは含まない。
ここでいうタックスイーターとは、自分たちの権益を守る仕組みを自分たちで作れる者たちの事だ。
ところで、本来はペイヤーである我々が、自分たちの為の「法」と「仕組み」を作り、我々が暮らしやすくなっていかなきゃおかしい。
だから立法に携わる者(国会議員)を、選挙で選べるようになっている訳だが、実際には官僚という名のイーターが、自分たちの身分と権益を維持していく事をのみ追求して、法や仕組みが作られていく。
私の知る限り、現在の日本のほぼ全ての仕組みはイーター(官僚)の視点で作られており、一見すると我々の為にあるかに見える仕組みは、極論すれば暴動が起きない為にほどほどに与えた飴に過ぎない。
要するに我々は、もらった飴をしゃぶりながら、我々から搾取する者達をせっせと養っている訳だ。
飴を与えた上で、批判の矛先を政治に向けてやれば、それで彼らの身分は揺るがない。
明治維新で身分制度が廃止されたはずが、戦前には軍務官僚として、戦後は現在の官僚組織として、予算と権限とをもって実質的な「身分」と化している。
先の事業仕分けで廃止や削減された天下り法人などは、官僚が老後のために用意してあった巨大なヘソクリ貯金箱だ。
老後の楽しみにしていた、そのヘソクリ貯金箱を、“庶民ごとき”の代表である政府与党ごときが解体したり削減したりする事など、官僚サマは許さない。
マスコミがはしゃいでいる間、TVカメラの前では一旦は引いたかのように見せはするが、翌年にはラベルを貼り替えただけで中身は同じヘソクリが入った貯金箱を用意する。
この場合、庶民には飴すらも与えない。
はしゃいでいたマスコミを統制して、あるいは誘導して、蓮舫をバカにしたり(彼女がバカか利口か知らないが)、民主党の無能さをアピールしてばかりいれば、我々は官僚の吹く笛にあわせて踊るように、そちらに関心をむけるようになるだけだ。
まずは我々こそが変わらなきゃならないと思う。為政者にはしっかり政治をさせることが出来る国民にならなきゃならない。
要するに国会議員には国政をさせなきゃいけない。
彼らは、選挙区に道路や橋を造らせる為に、地域が中央に送り出しているメッセンジャーではないのだ。
地元の権力者(?)に気遣ったり、地域の利益の為に小さな仕事をしているような時には、むしろ叱ってあげないといけない。
「お前は国政をしろ!」と。
だから、国会議員を町内の寄合いに呼ぶことで、自分のメンツを保とうとするような年寄りになっちゃいけない。
選挙前に挨拶に来たら、くだらない事をしなくていいと言ってあげてほしい。
強い官僚に負けない本物の政治家は、高い民度の国民だからこそ選べると思う。
自分の地域や、まして自分自身に利益を誘導することを喜ぶようでは、官僚を批判して戦う政治家を選ぶことができない。
これから庶民の生活は、ますます負担が増していく。
タックスペイヤーの数は減っていくのに、官僚の厚遇は老後も含めて変わらないから、その維持の為に広く浅く金を集めなきゃならないからだ。
本物の政治家が生まれるための土壌は、我々自身が変わるしかなんじゃないだろうか。
Posted by たまじゅん at 17:49│Comments(0)